1985年8月12日に日本航空123便が墜落し、520名が亡くなる痛ましい事故から、今年で35年が経った。
文藝春秋で、事故の犠牲者の親族だった川上千春氏が独占手記を発表したと聞き、読ませて頂いた。
本人と周りの親族の苦悩がどれほどだったか、少しでも理解できればと思い、自分なりの見解を述べたいと思う。
事故後、川上氏は自分は一家の長として頑張ろうとしたが、高校二年くらいから不登校になり、大学受験に失敗して浪人生になったという事実が書かれていた。無理もない、いくら親から愛情を注いでもらっても、子育ての半ば、突然両親や妹がいなくなってしまった。その頃、一緒に住んでいた祖母も病気で入院していて、見捨てない裏切らない存在が一人でもいたらと思うと川上氏の心の中は計り知れないものがあったと推測できる。
その頃、妹の慶子さんが看護師を目指し短大へ進学した。手記の中で慶子さんのことを「慶子は、高校卒業後の進路を明確に決めていました。壮絶な事故から奇跡的に救出された体験をしたこともあって、慶子は人を支える仕事をしたいと考えていたのでしょう。」とあった。自分より大変な経験をした慶子さんがこんなに頑張っているのを見て、川上氏も頑張って大学へ進学し、心理学を勉強するに至ったことが書いてあった。手記にも「大学の頃から、将来はセラピストかカウンセラーになりたいと思い始めていました。私自身、事故によって精神的に大きなショックを受けたので、同じような体験をした人々を癒したいと漠然と思っていたのです。」とあった。
自分が学生の頃は、もっと漠然としていて何も目標などなかった。何処か就職できればいいと安易に考えていたことを思い出した。結局、その後挫折の繰り返しだった。その点、川上兄妹は事故を乗り越えて成長していったことが手記から読み取れ、今更ながら自分の生き方が恥ずかしい。少しでも見習いたい気持ちだ。
その後、川上氏は大学卒業後、児童相談所の職員となり、現在は介護保険のケアマネージャーとして、高齢者の精神的な拠り所になって頑張っておられるとのことだ。
妹の慶子さんも看護師として勤務し現在はご結婚されお子様にも恵まれているそうだ。興味深いのは、どちらも人を支える仕事に就いたのには、やはり事故という壮絶な出来事を通して、家族の大切さ、両親と妹を救えなかったことで人を助ける道へ自然と進んでいったと思われる。
手記の最後に、川上氏が両親と妹さんにむけた手紙を公開している。その中で「今、僕にも慶子にも、ようやくまた、みんながいた頃のように、温かい家族ができたよ〜改めて、あの時失くしたみんなの存在の大きさがわかる気がするよ。本当にありがとう。精一杯の愛情を注いでくれて。」とあった。本当に素直な気持ちが伝わってきて、30年もの長い間に、挫折など辛い時期も乗り越えてきた川上氏の生き方を表しているとてもいい手紙だった。自分も、沢山回り道をしてきたが、この手記を読んで勇気をもらった。(終)
*この文面は、2015年8月に文藝春秋で発売された「妹・川上慶子と私の三十年」を読んで作成したことをご理解ください。
わたしは、学生時代2年以上引きこもりを経験しました。
詳しくはこちら
↓
https://you-re-start.com/counselor/
その時のことを本に書きました。もし、ご興味があれば以下のサイトから購入をお願いします。
amazonの購入サイトはこちらから
↓
出版社のサイトはこちらから
↓