1985年8月12日に日本航空123便が墜落し、520名が亡くなる痛ましい事故から、今年で35年が経つ。
文藝春秋で、事故の犠牲者の親族だった川上千春氏が独占手記を発表したと聞き、読ませて頂いた。
本人と周りの親族の苦悩がどれほどだったか、少しでも理解できればと思い、自分なりの見解を述べたいと思う。
何故、この手記を読んでみたいと思ったのは、当時自分も川上氏と同じ年代で、事故の日は親戚たちと旅行の帰りだった。最初ラジオのニュースで一報を聞き、本当かと疑いながら、家に戻ってテレビのニュースを観て、愕然とした記憶がある。
次の日に、生存者が見つかりテレビで救助のシーンが報道されたが、その生存者こそ、川上氏の妹の慶子さんだった。川上氏の手記に「慶子は奇跡的に助かりましたが、両親と妹は亡くなりました。事故以降、私は当事者である慶子以上に精神的に不安定だったと思います。人生なんてどうでもいい。いつ死んだっていい。そう捨鉢になって生きていました」とあった。自分が川上氏と同じ立場だったら、当時はまだまだ未熟だったので、不安や絶望ばかりになり自死も考えていたのでは、そう思うと何とも言えない気持ちになった。
「しかし家族、そして子どもができたことで、私は変わりました。やはり、結婚して、新たな家族ができたという経験をしたことが大きかったのかもしれません。」とあった。事故により、一瞬に家族を亡くした川上氏が親と同じ年代になり、家族ができたことで変われたのだと思う。父親は穏やかな性格で、声を荒げて子どもたちを叱ったりすることは一切なかったし、母親も優しく穏やかな性格だったと手記にもあったので、慶子さんも含めてとても可愛いがられたのは、想像できる。
そして、手記の中で「私と慶子はおとなしく、物静かな兄弟でした。事故からは、お互いに辛いことも沢山ありました。しかし、私たちは決して天涯孤独ではありませんでした。心の中に「自分には兄妹がいる」という拠り所があったこそ、私たちは支え合ってここまで生きてきたのだと思います。」とあった。特に天涯孤独ではないと言っているのが重要であり、親がいても愛情を注いでもらえず、育て方を間違えると親子不和から始まり、ついには事件を起こすケースも出てくる。 (続く)
*この文面は、2015年8月に文藝春秋で発売された「妹・川上慶子と私の三十年」を読んで作成したことをご理解ください。
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